コラム

ミッドセンチュリー家具の世界

moden01
May 18, 2013
written by S.M

1940年代から60年代にかけてデザインされたインテリアは、一般的にミッドセンチュリーデザインと呼ばれています。流線形のフォルム、ポップな色使い、軽やかな印象。ミッドセンチュリーの家具はそういったイメージを思い起こさせます。

ミッドセンチュリーにおける名作家具の多くは飲食店や美術館のカフェテリアなどで目にし、いつの間にか実際に座ったことのあるものばかりかもしれません。デザイナーの名前を知らなくても作品自体には馴染みがある場合も多いのです。

それでも、ミッドセンチュリーデザインが広まった背景などは実際の作品たちの知名度と比べてみると、さほど知られていないように思います。あのように未来的で、実用性に長けていて楽しげなデザインはどうして生まれたのでしょうか?

ミッドセンチュリー家具が登場した背景には、第2次世界大戦の終戦が大きく関わってきます。
アメリカはこの戦争で大量生産の技術や、耐性のある素材の改良・開発に成功しました。終戦を迎え、その技術を家具のデザインに応用し発展させた人物で代表的なのがチャールズ&レイ・イームズ夫妻です。

彼らの成型合板の技術は耐性に優れており、美しく、できる限りの低コストで多くの人々に行きわたるだけの大量生産を可能にしました。大量生産というと安物にありがちな機械任せの生産体系を想像してしまいますが、イームズはお客様の元に製品が到着するまでがデザイナーの仕事であると考えており、細やかなチェックのため、人間による作業過程が随所に設けられています。

他にもアメリカ空軍が開発した繊維ガラス強化ポリエステル・プラスチック技術を利用したチェアの生産など、イームズ夫妻は幾度もの実験と失敗を重ねて終戦後の世界に生きる人々の新たな生活空間の創造に携わってきました。

midse 終戦後のアメリカは、明るく開放的なデザインを求め、増える人口とともに大量消費の時代へと突入していきます。アメリカのカリフォルニアではその当時、鉱業や映画産業が盛んとなり多くの人々が移住してきました。

ヨーロッパから移住してくる芸術家やデザイナーとの交流も加わり、様々な新しいデザインが生まれました。また、カリフォルニアという開放的な土地のイメージはハリウッド映画とともに世界中に広がり、人々の憧れの的となります。

プールが備え付けられている家も多いことから、室内と庭との行き来がほとんど隣の部屋へ移動するのと変わらない自然さでできるようになっていたり、伝統的な家具のデザインではあまりなかった左右非対称のデザインや、新素材を用いたカラフルで軽やかな家具の登場は、これからの世界に自由と希望を感じさせてくれるものでした。
そのような時代の空気のもとに、ミッドセンチュリー家具は生み出されていたのです。

日本でもミッドセンチュリーデザインの影響を受けたデザイナーがいます。
バタフライ・スツールで有名な柳宗理です。バタフライ・スツールのシンプルな構造でありながら柔らかで確かな心地よさは、とても日本的です。ミッドセンチュリー家具が半世紀を越えてもなお、人々を魅了する理由は大量生産でもたらされた日用品としての便利さに加えられた、人間工学に基づく心地よさなのです。

ミッドセンチュリー家具には単なる日用品という枠組みを超えて、未来への夢や希望、快適さをストイックに求め続けた情熱が込められているように思えてなりません。それはきっと、現代においても人々が生活に求めているものなのでしょう。