コラム

伝統建築を守るひと 【vol2:函館市 小森商店 小森氏】

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June 30, 2016
written by 中村風詩人

弊社とご縁がある「伝統建築を守るひと」にスポットライトをあて、代表の四方田がインタビュー形式の対談にてお伝えします。
第二回目は、北海道函館市弁天町にある小森さんが守る、小森商店です。これが建築や町並みに対して考えるきっかけになれば幸いです。

K|小森圭一さん(3代目:父)
T|小森健良さん(4代目:息子)
Y|四方田

Y|本日は路面電車でこちらまで参りました。終点の函館どつく前で降りてから歩いて5分ほど、小森商店が近づくにつれて海の香りが強くなるのを感じました。
K|今この小森商店の前は倉庫が並んでいますが、昔は目の前が海だったそうです。
Y|海沿いの建物だったというのは驚きです。それはいつごろの話でしょうか。
K|私がこの建物を借りたのが昭和25年、22歳の時でした。その時にはもう埋め立てられていたので実際に海だったところは見ていないのです。
T|でも僕が子供の頃は海が今よりももう少し手前にあったのを覚えています。数回にわたって埋め立てが行われていたようです。
Y|海沿いにこの小森商店があるのを想像するとワクワクします。
01_X2_3118 T|それは僕も見てみたかった景色です。小森商店の2階が洋風の建築なのは、船が遠くから見た時に洋風の町並みに見えるからという理由もあるそうです。
Y|擬洋風建築の所以ですね。創建当時の1901年頃、このあたりで流行した1階が和式、2階が洋式という和洋折衷の建築様式だと聞いています。中でも小森商店は函館最古の擬洋風建築だそうでお話を伺いたいと思っていました。
K|正直住む方にとっては、そんなことはあんまり意識していませんでした。
Y|素晴らしい建築だから購入されたという訳ではなかったのですか。
K|当時は生活することで精一杯でしたから。私は7人兄弟の長男だったので、人一倍兄弟の面倒をみなくてはと幼い頃から思っていました。とても建築まで意識は回りません。
Y|いつごろ文化的価値のある建築だと意識され始めたのでしょうか。
02_X2_2953 K|平成元年です。その年に函館市の景観指定文化財に認定されたのです。そこで改めてこの建築の価値に気付きました。
Y|その時まで意識されていないということは、築88年になるまで気付かれていないということですね。88年というと、一般的な建築物では建物の価値はとうに無くなって更地に戻っている年数です。
K|そういうことになりますね。この建物は私が3代目なので、私が住み始めて約40年目のことですよ。それ以前の人も文化的価値があるかどうかは意識していたのかどうか。
Y|初代と2代目の方はどのような方が住んでいらっしゃったのですか。
K|初代は田中商店、2代目は吉見海事興業という方です。2代目の吉見さんからは直接購入しているので存じていますが、田中商店の名前は屋根裏から棟札が出てきたことで分かったのです。
03_X2_2979 竣工:1901年(明治34年) 
構造:木造2階建・規模:96坪
所在地:函館市弁天町23−14
設計施工:櫻井喜三郎
初代所有者:田中仙太郎
指定:市景観形成指定建築物

Y|田中商店、吉見海事興業、小森商店・・・3世代にわたって「商売が建築物を繋いできた」ということを強く感じます。
K|そうかもしれません。始めは借りていたのですが、私も22歳から今までここで商売をしています。
04_X2_2857w Y|今は船道具屋をされていますがこれまでもずっと同じ家業ですか。
K|だいたいは同じようなものですがもう少し幅広く仕事をしていました。もともと借り始めた時は間借りだったので、当時は私の他に5、6家族が入居していました。
Y|6家族の同居・・・とはこの建物にですか。
K|もちろん、1階と2階あわせてですがね。トイレは共同、風呂は近くの銭湯に行っていました。
05_X2_3112 Y|近くに銭湯というとこの弁天町にですか。
K|明治から昭和初期にはとても栄えていた町ですから、まわりにも10カ所近く銭湯はあったと思います。弁天座という映画館や射的場、それに遊郭としても有名だったから宿場も多かったですよ。
Y|そんな歓楽街として栄えていたとは、知りませんでした。
K|賑わいを見せていた時は、まわりだけでは宿が足りなくなるほどで2階の空いているスペースにもよく人を泊めたものです。それこそ多いときは25人くらいの人を泊めました。
Y|5,6家族の同居に25人の宿泊客。もう想像が出来ません。笑
T|それは僕も想像できません。笑
K|夜遊び客というよりは泊めていたのは船の見送りをする方々がほとんどでした。
Y|でも必要とされるものを提供して使われてきたから今まで建築物も残ってこられたのだと思います。
K|最近の商売ももう少し皆さんに興味を持ってもらえるといいのですけどね。少しご覧になりますか。
Y|はい、船道具ですね。お願いします。
05Ship_item K|昔から廃船を買ってきては、分解して部品取りを行って仕入れにしています。150トンくらいの木造運搬船がほとんどですが、昔から考えると10隻くらい購入していると思います。
06_X2_2948raw Y|どの道具もまだまだ現役ですね!(霧笛を手にとって鳴らすとボォォーンと大きな音が響く)
K|船道具自体はもう最新の設備にとって代わっているから現役というのは難しいかもしれません。むしろレストランやバーなどの店舗什器として買っていただくことの方が多くなってきました。
07_X2_3108 Y|羅針盤もしっかり反応しますね!(磁石を近づけると針が振れているのを確認している)
K|今は船のシステムもGPSになっているので、それも現在は使われていません。やはりインテリアにお薦めしています。
Y|それにしても興味深いものが色々とありますね。特に霧笛は買って帰りたいくらいです。
K|どうぞどうぞ、気になるものがあれば。出来るだけ多くの方に見ていってもらいたいと思っています、それでぜひ購入もしてもらえたら嬉しいですね。
Y|また次回きた時にはどんな船道具が増えているかも楽しみです。もう少しお部屋でお話を伺ってもよろしいですか。
08_X2_3084 T|この居間はいいでしょう、暖かいから。二階は話し合いをするには寒くて・・・笑
Y|真ん中にストーブがあるのは珍しいですね。
K|珍しいと言えば奧に蔵があるのが皆さん驚かれますよ。
Y|先程見させてもらい充分驚きました。住居スペースから突然蔵に繋がりますが、当時からあの姿なのですか。増改築したようにも見えます。
K|昔からあの形です。仰々しいだけではなくて、なかなか使いやすいのですよ。
T|普通は蔵というと住居と離れたところにあるものですがここは併設です、というよりも家の中にあります。夏場には冬のものをしまっておいたり、便利な倉庫として活躍してきました。
09_X2_2996 Y|これほどの蔵が室内にあるところが珍しいです。風雨にさらされていないので艶やかですし、厚い土壁は火も通しません。ところで先程、市の景観指定を受けるまで建築を意識されなかったとのことですが、今はこの独特な建築物を守っていくというお考えなどはお持ちでいらっしゃるのですか。
K|実は既にこの建物は私のものではありません。もうそういう意味では守り手を次の世代に渡しているのです。
T|10年前くらいでした、突然この建物の名義を変更するからって、父親から言われました。
Y|もう継承されていたのですね。
10_X2_2908 T|現在は両親が住んでいますし、僕は家は別の場所にあります。ですので、文化財を守るという大義名分よりも、名義を変更しただけというのが実際のところです。
Y|名義を変更することと守り手になるというのは必ずしもイコールではないように感じますね。
T|今は何も出来ていないなりに維持がされています。景観指定もあり、外観は綺麗に保っています。何より両親が変わらず住みながら、船道具の商売を続けています。ここで変わらずに生活できているというのはひとつの大きな価値かもしれません。
Y|そう、最後にお二人に、この建物がこれからどうなっていくと良いか、お持ちの展望をお伺いしてもいいですか。
11_X2_2919 K|この建物が守られればそんな嬉しいことはありません。ですが、それは誰かが守ってくれればいいなぁという程度の希望です。あと今の住まいとして思うことと言えば、少し広すぎるかなぁと感じるくらいです。
T|この建物をというのもありますが、市の指定を受けているからというよりも、私は自分が育ってきた建物が維持できたらという想いの方が強いと思います。あとはもう少し暖かいと嬉しいですね。特に二階です。
Y|お二人とも希望がささやかですね。ただ建物が守られていくことはとても難しいのだとも改めて感じました。この小森商店という素晴らしい擬洋風建築がこれからも残っていくように願っています。

写真・文:中村風詩人