コラム

ル・コルビュジエの世界

korub01
May 01, 2013
written by S.M

■住宅は住むための機械である
コルビュジエの「住宅は住むための機械である」という言葉は大変有名ですが、私が初めてその言葉を聞いたときには機械という単語に対して冷たく素っ気ない印象を持ちました。
しかし、コルビュジエはその「機械」という言葉を「無機質な」という意味で用いたのでしょうか。
彼の生まれはスイス、時計の文字盤職人である父とピアノ教師の母のもとに誕生しました。元々、時計職人の家業を継ぐために装飾美術学校で学んでいたコルビュジエです。その時代に時計といえば最も小さくて最新技術の詰まった機械と見なされ、人々のステータスでした。精巧で規則正しいその機械は、コルビュジエにとって幼い時より身近なものでした。
コルビュジエが建築の設計で基本としたモデュロールも、人間の寸法と黄金比から割り出された「人間にとってちょうどいい寸法」でありそれを建築や機械に応用することで美しく住むのに適した設計を行ったのです。そうした合理的な規則正しさや過不足のなさをコルビュジエは「機械」と表現したのではないでしょうか。

■ユニテ・ダビタシオン
コルビュジエの言う「住む」ということは、人々の想像を超えた豊かな理想を掲げていたということを思わせる建築があります。フランスのマルセイユにあるユニテ・ダビタシオンです。コルビュジエは数多くのユニテ(集合住宅)を設計していますが、こちらは初期の作品ということになります。1人暮らしから4人暮らしまでの多様なユニットを組み合わせ、最大1600名が暮らせるという巨大さも驚きですが、最も素敵なのはこの集合住宅に持たせた共用部分の機能です。この住宅の7階と8階には郵便局やお店があり、屋上には保育園やプール、体育館まで備えているのです。もともとコルビュジエの作品に屋上庭園はつきもの、と知っていても驚く充実さです。日常生活の営みから生まれる交流や必要なものを設備として身近に利用できる便利さ、目に入るものの美しさまでデザインしたのだと言えます。それは、まさに人間が想像する理想的な集合住宅なのではないでしょうか。家ごと街と化すような、巨大ながら密度のある安全なコミュニティーを描いたように思えます。コルビュジエにとって、住む場所とはそれほどに満たされた空間を意味していたのでしょう。

数字によって規格化された合理的な手法を主とする一方で、詩のような言葉を数多く残し、生涯絵を描き続けたロマンチストで独創的な面を持つル・コルビュジエ。それぞれの魅力が融合しているからこそ、彼の創造した建築の世界は現代にも尊ばれ、住まうとはどういう営みなのかを問いかけ続けてくれるのでしょう。